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司祭からのメッセージ



神に見つめてもらいなさい

司祭 ダビデ 渡部 明央


 
 パレスチナ・ガザ地区を支配するハマスとイスラエルとの戦争が続いております。連日、本当に心が痛むニュースが報じられており、ただただ「戦争は止めてくれ」と祈るばかりです。4日間の戦闘休止と人質の解放の合意がなされましたが、一日でも多く戦闘休止がなされ、停戦と和解の道が開かれますよう切に祈ります。

 教会暦は降臨節を迎え、新しい一年が始まりました。祭壇の祭色も「慎み」「節制」「備え」を表す紫に変わりました。教会は主をお迎えする準備のときを過ごします。

 ローマ教皇フランシスコが2019年11月に4日間日本を訪れた際、教皇は青年との集いでの講話の中で、ある霊的指導者のことばを紹介しました。祈りとは基本的に、ただそこに身を置いているということだと。心を落ち着け、神が入ってくるための時間を作り、神に見つめてもらいなさい。神は、きっとあなたを平和で満たしてくださるでしょう。」

 降臨節は、主イエスさまをお迎えする備えのときですが、わたしたちの心と体は主をお迎えするのにふさわしくなっているでしょうか。いつも、頭も心もあれやこれやで一杯になっていないでしょうか。
スマホやSNS、インターネットの発達により様々な情報をすぐに入手できるようになりました。いつでもどこでも連絡がつき、海外にいてもLINEなどを使えば、いつでも顔を見ながら電話もできます。そのようにわたしたちの生活環境は高度なものとなりましたが、教皇は「外的に高度に発展しても、内的生活は貧しく委縮し、熱意も活力も失っていることがよくある」と語ります。


 教皇は語ります。
 「わたしたちの助けとなる考え方があります。身体を生かすには、呼吸をしなければいけません。意識せず行っていることです。だれもが無意識に呼吸をしています。本当の意味で充実して生きるには、霊的な呼吸も憶える必要があります。祈りと黙想を通して、心の動きを通してわたしたちに語りかける神に、耳を傾けることができます。」

 不安、恐れ、悩み、時間、情報…。そういったものでわたしたちの心はいっぱいになり、埋め尽くされていないでしょうか。しかし主に心を向けて主で満たすとき、わたしたちの心は解き放たれ、神による喜びと平安に包まれます。

 降臨節、自分の心と体に主イエスさまをお迎えするために、静かに聖堂で祈るときを大切にしましょう。祈りと黙想をもって主に心を向け、主をお迎えする備えのときを過ごし、主イエスさまの降臨を待ち望んで参りたいと思います。





 
 


 
     



エマオへの道のキリストと弟子