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司祭からのメッセージ

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世の初めと終わりの間で

 
牧師 司祭 サムエル 小林 祐二 




「キリストは、きのうであり、今日であり、初めであり、終わりであり、アルファであり、オメガである。
すべての時、すべての時代は主に属します。
主に栄光と力が、世々にまた永遠に。アーメン」
(「復活のろうそくの祝福」より)

 復活日から10日が過ぎました。当教会で2度目の復活節、私宅・病床訪問もようやく勝手がわかりはじめ、昨年より多くの方々と主のご復活の喜びを分かち合うことができそうです。

 方や改元を迎え、「平成最後の…」「令和最初の…」という言い回しが何度も繰り返されています。昭和~平成のときよりもカジュアルに過ごされる改元、そこに何か意味を見出すとすれば、古い時を振り返り、新しい時に期待を寄せるということでしょうか。年末年始に似たものを感じます。水を差すようで気が引けるのですが、前号の編集後記でもふれられていたように私もこの改元にあたっては些か冷ややかです。天皇制や政治へのわだかまりというわけではなく、むしろこの期節にあって復活徹夜祭で祝福した復活のろうそくの方が強く印象づいているからです。

 復活のろうそくは死から命へとよみがえりこの世の全ての闇を照らすキリストを象徴し、ΑとΩ、十字架と救主降生の年が刻まれています。このろうそくによって、主が世の初めから終わりまで全ての時を治め、わたしたちはその統治のうちに光に照らし出され、新たな命へと導かれていることを想起します。復活節中の全ての礼拝で聖所にて灯し、その後は洗礼式で洗礼盤のそば、お葬式では棺の傍ら、つまり新しい命に関わる諸礼拝で灯されます。

 時代に名をつけ、そのいくつかを過ごすことは、わたしたちが人生を振り返るときに便利かもしれません。しかし、それよりもはるかに長大な時を主が司り、わたしたちがそのうちに生かされているということを忘れたくないものです。森羅万象とそこから示される時の流れというものを、止めたり早めたり、治めることは誰にもできないのです。わたしたちの地上の命と同じように。生活の節々に与えられる主の必然的なタイミングを受け止め、そこから主のみ旨を読み解こうと臨むことが、キリスト者の人生の醍醐味であり、主への応答となるのではないでしょうか。

 主の時に導かれていることを思いつつ、平安のうちに過ごして参りましょう。