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司祭からのメッセージ

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メ  モ  リ  ー

 
牧師 司祭 サムエル 小林 祐二 


 春から夏にかけ、当教会信徒の方々が相次いで神様の御許に召されたのはご存じのことと思います。ここしばらくご葬儀もなく、神様が司る命の不思議のうちに安堵していますが、ご葬儀から数ヶ月を経て埋葬(納骨)の時期でもあります。

 先日ある方の埋葬のあと、ご家族は「まだ電話がかかってくるような気がして、携帯の連絡帳から(故人の番号を)消せないんです」とつぶやかれ、ご家族の心の歩みを垣間見た思いがしました。肉声を交わす関係から祈りの関係へと移り変わるなかで、電話はもうかかってこないことを頭で理解していても、心はまだ寂しさのうちに戸惑っておられるようにお見受けしました。

 帰宅後、私も連絡帳を見直しました。もともと消せない性分ではありますが、御許に召された方々が思いのほかたくさん残っていました。久しぶりに思い出すお名前、着信表示される度に緊張したお名前。電話帳を見ながら様々なエピソードを想起し、やがて魂の平安を祈る祈りへ導かれました。

 今やたくさんのメモリー(電子記憶媒体)に囲まれています。学生時代のパソコンはメインメモリーが64KBでしたが、この原稿を書いているパソコンは寄せ集めで16GB(約25万倍)になりました。スマートフォンでさえ4GBです。色々、細かく作業できるようになりました。外部記憶も磁気媒体から半導体に代わり、これも今日は莫大な容量が普及しています。さっきもネコのあくびや庭木の動画を撮ったばかり。なんでもたくさん記録できるようになりました。しかし記録することに多くのエネルギーを費やす一方で、整理することが苦手になったように思います。一昔前はカメラで撮った写真の脈絡を1枚1枚覚えていましたが、今では「これ、いつだったっけ?」とファイルの情報で確認する次第。自分の記憶をずいぶんメモリーに委ねるようになってしまいました。気をつけたいのは、それらの記録を”ゴミ”にしないこと。いくらメモリーを拡張してデータをたくさん仕舞い込んでも、それに意味を付与するのは所有者自身の仕事なのです。

 「忘れる」とは、記憶が消えてしまうというより、それを引き出すきっかけや余裕がなくなる事を指すように思います。きっかけさえあれば自分でも驚くほど多くの記憶が引き出され、きっかけさえあれば想起し追想することができます。そのためにも、連絡帳を時折整理しようと思いました。削除はせずに。

 教会は主イエス・キリストを記憶し、想起し、聖餐のうちに臨在せしめます。ゆえに、聖餐がなければ、想起することがなければ、キリストは単なる記憶にとどまり、やがてその人のうちから忘却されることでしょう。逝去者についても然り。ご遺骨やお墓は逝去者のリアリティーを伝えますが、埋葬と同時に逝去者の記憶まで葬るわけにはいきません。

 永遠の命への旅路を歩むわたしたちは、逝去者の記憶を呼び起こし、想起し、逝去者もまた同伴者であることを確かめたいと思います。今年も迎える諸聖徒日・諸魂日というきっかけに感謝し、たくさんの証人を思い起こして魂の平安を祈り、旅路の励ましを得たいと思います。