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司祭からのメッセージ

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わたしは 信じます

 
牧師 司祭 サムエル 小林 祐二 



4: 2御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。3だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、4真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります。5しかしあなたは、どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい。
(テモテへの手紙II)

 物事を判断しようとするときには様々な情報を頼りにしますが、最近は情報の偏りや誤りを意識させられることが多いです。発信・受信者の背景や限界がありますのである程度は許容しなければなりませんが、中には悪意に基づいた、あるいは気づかずして、自分のみが正しく異論は一切認めないという裁き、また自らの誤りや不足の可能性を受け入れられないような強硬な主張、そしてヘイトが増えていると感じるのです。

 今や言論の主会場となった感のあるインターネット上では、主張の自由を盾に人を人とも思わないデマが捏造され続けており、顔の見えない関係の危うさを思わされるとともに、冷静になって情報のウラを取る(ファクト・チェック)ことの大切さに気付かされます。質にかかわらず急速に拡散される情報の中、チェックを怠ってその波に流されるなら、人を傷つけるデマに加担することになりかねないのです。昨今、公の報道・行政機関でさえ流されつつあるように見えるのは私だけでしょうか。「~が言っているから」という信頼関係が社会全体から消えつつあるような、寂しい危惧を覚えます。同時に、迎合や従属を促す力(ideology)の正体を把握し、物事を正しく伝えることの責任、その物事をどう受け止めているかという主体性(identity)をしっかりと養いたいと思うのです。

 しばらく前、「イデオロギーよりアイデンティティ」という言葉に出会いました。前沖縄県知事の故・翁長雄志氏が、那覇市長を辞して県知事に立候補したときに掲げられたひとことです。多分に政治の脈絡が背景にありますが、自分自身のあり方を問われるかのようにハッとさせられました。モノマネから多くを得てきた私としては、時々自分が誰かのマネキンになっていないか、気になっているからなのです。

 集団に所属し、その慣習に従うことは、自らを整えるために良いことです。しかし、その中で流布する情報についても、右から左へ、ではなく、しばし留まって自分の時間とエネルギーを注いでよく吟味しておきたいものです。信義を重んじたようでいて、実は発信者の欲求達成のためであったりすることがあります。何より特に、わたしたちに示された福音を宣べ伝えるにあたっては、それが自分自身の喜びの源となっていなければ、正しく伝わることはないでしょう。聖書のみ言葉も、祈祷書の祈りにしても、その背景を掘り下げ、味わうことができたなら、泉のように力が湧き出ることでしょう。

 間近に迫った大斎節、キリスト者というアイデンティティをますます養いたいと思います。(私の言葉のファクト・チェックはお手柔らかに…!)