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司祭からのメッセージ




平和への願い


                        牧師   司祭 サムエル 小林祐二


 

 
 教区の定める「平和宣教月間」に入りました。毎年教区内の各教会で、平和を求める祈りと、それを深めるプログラムが予定されます。本年、当教会では足もと・横浜の大空襲の記憶を辿るべく、市内在住の教会外の方から証言をいただくこととなりました。日時は4日の聖餐式後ですのでこの号が皆さんの手に届く頃には終了していることと思いますが、「又聞き」でも結構ですので、語り継ぐことの大切さを含め、横浜の地で平和への思いを新たにしたいと思います。また恒例のアンデレ文化展も近年は平和がテーマの作品、著書が出展されています。単に見るのではなく、観てメッセージをくみ取ることができればと思います。

 さて、そもそもわたしたちはなぜ過去を振り返るのでしょうか? それをしないでいるとどうなるかを考えてみましょう。まず、同じ過ちを繰り返すようになります。反省も成長もできなくなります。他者から学ぶ必要はなくなり、他者との関わりを求めなくなります。成長が頭打ちになったこの現代社会で、しばしば見られるパーソナリティです。一見楽ちんに思われますが、ギシギシと悲鳴を上げながら錆びて磨り減り、やがて朽ちる歯車になってしまうのです。

 歯車という表現をあえて用いるなら、わたしたちはただの機械ではなく、心・意思・個性を与えられた歯車です。いくら自分は歯車だと言い聞かせたとしても、惰性で回っているだけでは満たされることはありません。動力源はどこか、全体のどこを受け持っているのかを知り、協調することができます。そして交換部品が一切ないのです。これを思い出した歯車は、やがて油を得たようになめらかに回りだし、もはや雑音ではなく、創造主への感謝や賛美を奏でることでしょう。

 神様に創られたこの世界の中で、人間だけが意識的に過去を振り返ることができ、また人間だけが時代を超えて伝えようとします。これは愛そのものである神様の似姿として創られた人間だけが持ちうる営みです。犯した過ちや負った痛みに懲り、後世の者には経験してほしくないと願う心を持つことができるのです。教会はその心を励まし、平和のビジョンを示します。創造主が創られ、キリストによって示された「主の平和」が聖餐式のうちに現され、わたしたちはその完成を先取りして味わい、携えて出かけるよう召されているのです。決してそれを惰性や拒絶で過ごさないようにしたいのです。

 今年は夏休みをいただくことができました。6日の神戸教区・広島平和礼拝、9日の九州教区・長崎原爆記念礼拝に家族で参列する予定です。いずれの礼拝も、かつての経験では心に傷みを伴いました。しかし、あの暑い日射しとともに刻まれた傷みは、被曝された方々とそのご家族の傷みとは比べものにならないことにも気付かされました。若い子どもたちだからこそ、それを知っておいてほしいと思い、ハイシーズンをいとわず広島・長崎訪問を決めました。楽しんでほしいと思います。そして気付いてほしいと願っています。