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司祭からのメッセージ

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連  作  障  害

 
牧師 司祭 サムエル 小林 祐二 



 ご承知の方も多いかと思われますが、日本聖書協会が新しい翻訳事業をすすめ、いよいよ12月に『聖書 聖書協会共同訳』が刊行となりました。この刊行に先立ち各所で説明・講演が開かれましたが、ある会では、聖書を翻訳しなおすことは堅くなってしまった畑の土を耕すような大切な役割があると説明があったそうです。翻訳には原文の豊かさを伝えきれない限界があり、また読む側として決まった文体に読み親しむことは大切ですが、言葉の意味を掘り下げる機会が少ないならなおのこと、耕耘【こううん】が必要となるのです。

 新しい翻訳はもうご覧になりましたでしょうか。わたしは朝夕の礼拝で朗読担当ではないとき、日課に従って少しずつ黙読することにしました。まだ数節を読んだに過ぎませんが、例えば新共同訳で「主は言われる。~」となっていた部分が一律して「―主の仰せ。」と訳されている個所等に目がとまり、早速鍬を入れられた気がしました。これからは「メロン→すいか」や「かもしか→ガゼル」「サファイア→ラピスラズリ」等の固有名詞の変化にも思いを新たにすることになるでしょう。批評したい気持ちが起きますが、致命的な誤りはともかくまずはその変化に促され自らが柔らかくなってからにしたいと思います。

 ちなみに、この新しい訳は日本聖公会主教会で試用許可が与えられましたので、礼拝で用いることができます。しかし、章・節の区分が異なるかもしれません(未確認)し、デジタル版もまだですので、正式な使用となる日本聖公会総会決議を待ち、それまでは「草の根」で親しもうと今は思っています。

 祈祷書を用いて心をこめ、また皆でひとつとなり礼拝をささげること、また聖句を掲げてみ言葉に生きることはとても大切なことであり、大いに深めたいことです。しかし、この新しい聖書を前に思うのは、祈祷書や聖書との緊密さの間にでさえ、頑なさや奢りが生じうるこということです。例えば祈祷書の「わたしたちの主イエス・キリスト」という言葉。文脈によって変化はあるとは思いますが、概ね「わたしたちの主(である)イエス・キリスト」という意味になろうと思います。しかし実際の発音は「わたしたちのしゅうイエス・キリスト」となりがちで、しばしば「主」の意味が失われ音のみになっていることに気付きます。どれだけ現代口語での意味を伝えられるかという課題につながるものと思いますが、それ先立ち、謙遜に文言と向き合うことを意識したいものです。

 2018年、夏の聖堂の「グリーンカーテン」は直植えではなくプランター育ちでした。毎年の耕作で土壌の栄養素が不足する「連作障害」の対策でした。朝夕の寒い聖堂で、2019年の夏はどうなるかと、早くも夏の日射しと茂ったグリーンカーテンを思い浮かべています。

 新しい年、わたしたちの心の土壌も耕され、整えられ、新たな芽をたくさん育てることができますように。どうぞよろしくお願いいたします。